哲学は英語で殴れ ― アジャシャンティの5語が翻訳14音節を殺した日

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アジャシャンティを英語で聴いたら翻訳で読んでた時と全然違った。"You are not your thoughts"の5語が「あなたはあなたの思考ではありません」の14音節より100倍刺さる。哲学は原語じゃないと死ぬ。翻訳は説明で、原語は体験。

#英語学習#哲学#コンテンツ体験Adyashanti非二元言語構造翻訳論

5語で殴られた

アジャシャンティのYouTubeを英語で聴いてた。
"You are not your thoughts."
5語。主語、動詞、否定、所有格、名詞。以上。
初めて聞いたわけじゃない。日本語訳で何回も読んでる。「あなたはあなたの思考ではありません」。14音節。意味は同じ。
でも全然違う。
日本語訳は「説明」だった。英語は「体験」だった。

翻訳が殺すもの

なぜ違うのか。構造的に考えた。
英語版: "You are not your thoughts."
  • 単音節の連打。You. Are. Not. Your. Thoughts.
  • 全部1音節。5回パンチが飛んでくる。
  • 最後の "thoughts" だけ少し重い。着地点。
日本語訳: 「あなたはあなたの思考ではありません」
  • 丁寧語。「ではありません」。
  • 「思考」は漢語。日常語じゃない。
  • 14音節に引き伸ばされて、パンチが消えた。
英語のアジャシャンティは殴ってくる。日本語のアジャシャンティは説明してくる。
同じ人間の同じ言葉なのに。

哲学は音で効く

もう一個。
"Let go."
2語。let と go。小学生でも知ってる単語。でもこの2語で「執着を手放せ」を全部言ってる。
日本語だと「手放しなさい」「執着を捨てなさい」「こだわりを解きなさい」。どれも正しい。でもどれも説明
"Let go" は説明してない。やれ、って言ってる。
アジャシャンティが静かな声で "Just... let go" って言うのを聴くと、脳が「あ、今手放すのか」ってなる。日本語で「執着を手放しなさい」って読むと、脳が「手放すとは何か」を考え始める。
体験と分析の差。
哲学が刺さるかどうかは、意味じゃなくて音のリズムで決まる部分がある。

"Suffering" vs "苦しみ"

これが一番衝撃だった。
アジャシャンティがよく言う。"The end of suffering." 苦しみの終わり。
"Suffering" は3音節。suf-fer-ing。重い。言ってるだけで苦しそう。口の中で転がすと、その重さが体で分かる。
「苦しみ」は「くるしみ」。4音節だけど軽い。ひらがなの柔らかさが緩衝材になってる。
英語の suffering は苦しみの重さを音で運んでる。日本語の苦しみは意味だけ運んで、重さは置いてきてる。
だからアジャシャンティが "The end of suffering is possible" って言うと、その suffering の重さが消える瞬間を体で感じる。
日本語で「苦しみの終わりは可能です」って読むと、テキストを処理してるだけ。

英語学習の副産物じゃなかった

Journal #116で書いた。アジャシャンティを聴いてたら英語がついてきた、って。
逆だった。
英語じゃないとアジャシャンティが届かない。 翻訳で読んでた時、俺は理解してたけど体験してなかった。
TOEIC 900点は持ってる。スピーキングは死んでる。でもリスニングは入る。アジャシャンティの英語は、ネイティブポッドキャストより聴きやすい。ゆっくり。明瞭。pauseが多い。
結果として、哲学を「体験」するために英語が要る、という構造になってた。英語学習の副産物として哲学が入ってきたんじゃない。哲学を受け取るために英語が必要だった。

翻訳は地図、原語は道

翻訳は地図だ。
地図を見れば「ここに山がある」「ここに川がある」って分かる。でも山を登った汗は地図からは出ない。
アジャシャンティの英語は道を歩くこと。日本語訳は道の地図を読むこと。
地図で旅行した気になってた。3年間。
ニーチェもヴィトゲンシュタインも老子も、全員原語で読んだ方が効くはず。でも俺にはドイツ語も中国語もない。英語だけある。
だからアジャシャンティが最適解になった。
英語で哲学する。それだけで別の体験になる。翻訳は情報。原語は衝撃。
5語で殴ってくる男、アジャシャンティ。